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    かけはし2021年1月1日号

差別と分断に平等と連帯の対置を


労働運動

どこでも誰でも最賃時給1500円追求を柱に

エコ社会主義へのシステム転換めざす運動の担い手へ

生き延びるための闘いに向けて


 新型ウイルス感染が第3波として一層勢いを増す中、労働者民衆の暮らしが深刻に脅かされている。特に、休業補償もなく帰国できないまま放置されている技能実習生・留学生をはじめとする外国籍労働者、そして同じく休業、あるいは雇い止めされた非正規の女性労働者の窮状も、そして一応準備された休業支援金も実際には多くの当事者に渡っていないという現実も、メディアや多くの相談機関を通じて広く伝えられている。こうしてたとえば12月7日のNHK特集は、非正規女性労働者の減収が共働き世帯の暮らしにも打撃を与えていることを浮き彫りにし、今年に入って女性の自死が急増していることを伝えた。
 労働運動には、労働者全体の生活を差別なく尊厳ある形で保証させる闘いが、賃金と雇用を差別なく確保させる闘いが、差し迫った課題として突きつけられている。これこそがすでに始まった21春闘の第1の課題であり、21けんり春闘、あるいは全労連は明確にそのような内容と要求で闘いの方向を定め、行動の組織化に乗り出している。われわれはまずこれらの闘いに率先して力を注がなければならない。
 しかし、今労働運動に課されている課題はそれにとどまらない。現在の資本主義のシステム総体がその持続可能性の限界を露わにし、それが労働者民衆への破壊的作用に転化していることを赤裸々に見せつけているからだ。
 まさに2020年は、労働者民衆の生き延びの問題として、システム転換をめざす闘い、第4インターナショナルの観点で言えば、エコ社会主義的社会変革の闘い、への挑戦を現実的必要として突きつけた、労働運動はその必要に正面から向き合うことを迫られている、われわれはそう考える。

資本主義システムの行き詰まり


 後に見るように、その突き付けの第1は紛れもなく新型コロナウイルス・パンデミックだが、それにまさるとも劣らない問題が次々にわれわれを襲った。
 たとえば、2020年の幕開けがオーストラリアの大森林火災だったことを思い起こそう。そしてこの森林火災はその後、アマゾン、カリフォルニア、パンタナール(ブラジル)と現在まで続いている。九州球磨川の大洪水は言うまでもなく、欧州や南アジアなども大洪水に見舞われた。これらの大災害が気候変動と密接に関係していることは多方面から認められていることであり、その意味でこの深刻な現実は、今や単なる気候変動ではなく気候危機と表現されている。
 マイクロプラスチックに代表される海洋汚染と、それによる人類を含めた生態系汚染の進行が危機的状況にあることも明らかにされた。新型コロナウイルスの出現とそのパンデミックを含めて、このいずれも、資本主義の歴史的展開形態である新自由主義グローバリゼーションの産物であることには多くの論者の指摘がある。
 そしてシステムの行き詰まりをより深く規定しているものは、グレタ・トゥーンベリが若者らしく歯に衣着せず糾弾したように、先の危機的現実に正面から立ち向かうことを世界の支配的エリートが事実上拒否していることだ。
 この危機の被害者がもっぱら社会の下層に置かれた差別された民衆であり、そこから逃れることができ、あるいはむしろそこから利益を得る者が社会の上層であることは、ますますはっきりしようとしている。コロナ・パンデミックはそれを、死亡者の顕著な階級的偏りとして、また大資本と大資産家が株式市場の高騰によって空前の資産を積み上げていることとして、さらにこの積み上げに政治が荷担していることとしても、この上なく見せつけた。
 支配的エリートは先の拒否によって、彼らが曲がりなりにも支配の大義名分としてきた「社会的包摂」を投げ捨て、「社会的排除・切り捨て」へ開き直り的に変身したことを明らかにした、と言ってよい。世界に広がる社会的分断は、意識的に、あるいは少なくとも彼らの「未必の故意」として進められている。政治の強権化の進行、そして民主主義の空洞化も、その必然的結論にほかならない。

社会変革主体形成への合流へ


 平等と民主主義に関する、また暗黙の、あるいは明示された生活保障への責任(たとえば社会的市場経済という欧州のスローガン)に関する、いわば支配的エリートによる民衆へのこの「反逆」は、当然にも民衆からの反撃を呼び起こしている。2000年代初頭から高揚を見せたオルタグローバリゼーションの世界的決起は、起伏をたどりつつも2019年、2020年に連続した世界各地での強力な新しい社会運動と民衆決起に引き継がれた。
 特にこの2年の運動では、女性、小農、先住民、被抑圧マイノリティ、若者が主導的役割を果たしていること、そしてまさにシステムの根幹への挑戦を明確に射程に入れ、自治的社会管理への発展をも内包した新たな連帯構築にも挑んでいることが特徴だ。そのもっとも至近の例がブラックス・ライブズ・マター運動であり、彼らが掲げた警察解体の要求は、瞬く間に世界の社会運動の間で共有された。
 システムの抜本的変革に正面から挑む運動の主体は具体的に登場しようとしている。しかしそこには決定的な欠落部分があり、それこそ労働者階級にほかならない。果敢な挑戦を始めている社会運動に対し、既成の伝統的な労働運動は明らかに今立ち遅れている。
 しかし今回のコロナ・パンデミックは、「エッセンシャルワーカー」の存在を、社会的機能の維持に不可欠な存在として、にもかかわらず多くが不安定で劣悪な処遇にあることを、はっきりと浮き彫りにした。それは現行システムにおける差別的な労働評価の不条理さを通じて、現行システムに内在する労働者階級との非和解性を暴き出した。同時にそれはシステム変革に際しても、そのシステムの支え手であると共に職業的な知見を基礎とした主体的な管理主体として、労働者階級が不可欠な存在であることをも、あらためて明確にしている。
 民衆的必要になろうとしているシステム転換に向けて、労働運動は主体的に応え、立ち後れを克服しなければならない。長く沈滞してきた労働運動の再生は、おそらくその踏み込みを通じてしかあり得ないと思われる。そしてその踏み込みの条件とそこへの圧力は日々高まるだろう。
 われわれは、賃金と雇用の差別のない確保を要求する現下の闘争の中でこそ、先行する社会運動への合流を射程に据えた意識的な運動展開の追求が求められると訴えたい。そしてその具体的な通路として、第1に時給1500円の全国一律最賃実現を求める最低賃金闘争の総力をあげた組織化を柱に据えた上で、第2に公務・公共サービスの取り戻し、第3に1日の労働時間8時間の厳格な規制、を中心的な要求とする闘いを民衆的な連携の下で進めることを呼びかけたい。それは何よりも、コロナ・パンデミックが露わにした日本の現状が労働者民衆の切実な必要として提起しているものにほかならない。

社会的分断と差別への反撃を


 貧困と格差が問題になって久しい。しかしその改善が進むどころかそれがむしろ進行していることは、非正規労働者数の動向や年収200万円以下労働者数など、あらゆる統計数字に示されている。このコロナ下で非正規労働者数は大きく減少しているが、それはまさに都合のよい使い捨て労働力として雇い止めされたからであり、それ自体、雇用制度の構造的な差別の存在を逆照射している。
 先に見た世界的な社会的分断は紛れもなく日本の現実であり、それが日本の支配層の意識的な選択であることも今年一層明らかになった。現実に首相になった菅は自助を第1にと公言しているが、それを裏返せば、切り捨てと排除の公言にほかならない。
 そして最高裁は、労契法20条裁判で基本賃金差別を当然視する判決を下した。労働者は手当ではなく基本賃金で生きている。基本賃金差別はまさに生活差別であり、それが年金をも規定することを考えれば、最高裁は生涯の差別を当然としたのだ。
 さらに今年、ただでさえ極度に低いままの最低賃金は、40県で地方最賃が僅かに1〜3円引き上げられたものの全国平均で902円/時(1円引き上げ)と、引き上げは事実上見送られたに等しい。しかし連合公表によれば、大民間、中小の春闘妥結は2%弱の賃上げ率になっている。最賃引き上げを行わないとの判断は、最低賃金の労働者層に対する無言の差別と言うほかない。現在ではこの最低賃金とほとんど差のない賃金の労働者が10数%にまで達していること、したがって最賃引き上げ見送りはこの労働者層全体の賃金凍結として波及することも特筆したい。
 そして3月末しきりにステイホームが訴えられたが、そこでは、それができない多くの労働者の存在にふれられることも、そこへの感染防御の対策が格別に講じられることもなかった。まさに差別は意識にのぼることすらないほどまで構造化されている。
 このような差別的分断を生活破壊にまで推し進めるものが、生活の基礎を支える社会的インフラ、セーフティネットとしての公務・公共サービスの、意図的に進められた脆弱化であることは論を待たない。コロナ・パンデミックは、保健所や医療や介護の危機として、この脆弱化を赤裸々に暴き出した。
 しかし支配層は、新型コロナウイルス感染が日本で確認されてから11カ月たっても、この脆弱化に本格的に策を講じようとはしていない。この分野ではマスクや消毒液の不足が今なお解消されていないとまで報じられている有様だ。都立病院の独立法人化強行を変えない小池都政を端的な例として、むしろこれらの問題をやり過ごしたいとの本音が見え見えだ。
 公務・公共サービスが普遍的な人権保障のためのものであり、社会的連帯を具体化したものであることをあらためて確認しよう。そうである限り本来、公務・公共サービスが私的企業で代行されることなど、あるいはその論理で運営されることなどあり得ない。
 差別と分断が意識的に進められようとしているこの時代にこそ、平等と連帯の旗を正面から対置しよう。それが生きる社会をはっきり求めよう。まさに200年の歴史を通じて、その旗の下で個々の競争を拒否し、あくまで集団総体の暮らしと権利の保証を求めてきた労働運動には、この闘いを引き受ける資格があるだけではなく、その義務もある。

システム転換に道開く運動へ


 そのような闘いとして労働運動が真っ先に引き受けなければならない闘いこそ、どこでも誰でも最低時給1500円実現の運動組織化だとあらめて呼びかけたい。その実現には労働者の企業、業種を超えた積極的な組織化への乗り出しが、特に表現を奪われた非正規労働者の声をはっきり突き出せる場の創造が求められると共に、全民衆的連携が不可欠の要素であることも明確だろう。現実には確かに多くの困難がある。しかしこの闘いは、今避けてはならないものとして突きつけられている。まさに踏み出しが必要だ。そして、労働運動がそこに向け貪欲に挑戦することは、システム転換を引き寄せまたそれを支える、強固な民衆的連帯の構築にも大きく貢献することになるだろう。
 見てきたように、公務・公共サービスを民衆の側に取り戻し、その名に値する機能を民衆的な統制の下で回復することは今や必須の民衆的課題だ。そして人権保障というその本来的役割を考えれば、医療や介護の現状が明瞭に示すように、電子化や機械化で埋めることのできる部分に大きな限界があることは明らかであり、要員の大幅増強も必須の課題となる。この闘いにおいても、職業的知見の重要性も含めて、労働運動が民衆との連帯の中で役割を果たさなければならない。この闘いが職の創造という点でも重要であることも付け加えたい。
 最後に労働時間規制の重要性を力説したい。労働者の命の問題としてはもちろんだが、しかしそれと同時に、労働時間規制が労働者の人権保障の基軸であることを確認しよう。それが労働者の自由時間の確保と拡大にほかならないからだ。
 その重要性は、コロナ・パンデミックを好機として一挙に推進されようとしているいわゆるリモートワークとの関係で一層はっきりしている。リモートワークが自由時間と労働時間の境界を曖昧にし、労働時間が不断に自由時間に食い込む可能性を潜在させているからだ。おそらく資本はその傾向を意図的に活用しようとするだろう。
 加えてこの働き方が資本による労働者の24時間監視に利用される危険性も見え始めている。現に米国では、労働者監視を組み込んだリモートワークソフトが売り込まれていると報じられている。
 厳格な労働時間規制の重要性はますます高まっている。労働のIT化の下では、労働者の人権保障のためには、その規制の一部として、労働者によるコンピュータ切断権の確保も必須になるだろう。労働時間規制が生産抑制として、また成長に依存しない労働運動に導く糸口として、エコ社会主義への転換に適合的であることも付け加えなければならない。
 長く続いた労働運動の後退が支配層の勝手気ままと傲慢さの、したがってまた現在の差別的分断と人権軽視の進行の大きな要因であることは明白だ。2020年は、労働運動がこの状況に甘んじていることはもはや許されないことを突きつけた。議論を活性化し経験を寄せ集めてその打開の道を何としても探り出し、新たな運動展開に踏み出さなければならない。われわれは、システムとの共存ではなくその変革を主体的に引き受ける中にその道がある、と改めて訴えたい。
         (神谷)          



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