かけはし重要記事

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                        「かけはし」1999.2.15号より

共同行動の原則と「内ゲバ」主義について

 (1)

 対立する党派間や、大衆運動内部の意見の異なった人びとに行使される暴力=「内部ゲバルト」(内ゲバ)は、左翼運動、とりわけ日本の左翼運動に対してどれほど大きな害毒を流したかは、いまでは労働運動や市民運動にたずさわる人びとのほとんどにとって常識となっている。
 一九八〇年代以来現在まで、労働組合、市民運動、個人、そして私たちをふくむ左翼諸党派が参加する共同行動が、反戦・平和、反天皇制などさまざまの課題で積み重ねられてきた。今日では新ガイドライン安保にもとづく戦争協力法案に反対するために、こうした闘いが現に繰り広げられている。私たちはその運動を前進させるために積極的な関わりを行ってきたと自負している。
 この共同行動の経験の中で、当然のこととして確認されてきた一つの原則がある。それは「意見の相違を暴力によって解決しない」というものであり、そうした暴力を行使したり、またそれを正当化するグループに対しては共同行動の対象とはしない、という原則である。
 しかし大衆運動の中でこの原則が定着するまでには、ねばり強い論議が必要だった。「党派間の内ゲバは良いことではないが、それは自分たちに関係のない党派と党派の問題であり、どっちもどっちであってそうした問題にかかずりあいたくない。自分たちに火の粉がかからない限り、少しぐらい大目に見てもいいじゃないか」といった風潮が存在していたからである。
 しかし「内ゲバ」の思想と実践は、たんに「対立党派」間の抗争にとどまるものではない。そうした暴力を行使する党派が大衆運動を暴力によって支配し、自らの党派の「主導権」を強要していくことで、自主的・批判的に思考し活動する人びとを運動から遠ざけ、運動そのものを破壊することになるのは明らかであった。多くの人びとに開かれた自主的な共同行動の発展にとっては、「内ゲバ」を実際に行ったり、それを少しでも「大目に見る」考え方がまったく相いれないものであることは、実際の経験を通じて共通のものになっていったのである。
 「内ゲバ」に反対するということは、決して意見の違いを棚上げにして「みんな仲良く、いっしょにやろう」ということではない。その逆である。
 大衆運動には意見の対立がつきものである。そしてその対立を生き生きとした論争として発展させることによって、運動は前進する。しかし内ゲバ主義は生き生きとした論争を暴力で圧殺するものである。論争を発展させ、その論争の中で問われている課題を深め、大衆運動を理論的にも新しい次元に発展させて、広がりを作りだしていくことを「内ゲバ」は妨げてしまうのである。
 こうした大衆運動上の原則は、くりかえし再確認されなければならない。私たちは、一つひとつの共同行動の中で、その点を運営の前提的な原則として繰り返し意思一致してきた。

 (2)

 しかし今日、沖縄闘争や新ガイドライン反対闘争などの大衆運動の中で、「内ゲバ」を行使し、多くの活動家やその周囲の人びとを殺害したり負傷させた党派が、自らの主張を隠したり、過去を隠蔽したり、「今は内ゲバなどやっていません」などと称して、笑顔を振りまきながら「共同闘争」を求めて来る事態が広がっている。
 そして彼らの実態を知ってはいても「過去の行きがかりなどもういいではないか。党派間の対立を持ち込むな」ということで、彼らの欺瞞的な「大同団結」の呼びかけに、安易に乗ってしまう「善意」の人たちも存在する。かつては「内ゲバ批判」を共通の原理として承認する共同行動に関わりながら、意識的に新しい共闘の対象を内ゲバ党派に求めるグループすら存在する。
 私たちは、「内ゲバ党派を共同行動の対象とはしない」という主張を逆に「かたくなな排除の論理」であるかのように語ってしまうことは、誤りであると改めて明確に主張する。中核派は、自分たちの内ゲバ・テロリズムが「正義の暴力」であるという主張に依然として固執している。この点では革マル派も同様である。
 中核派による暴力の行使は、彼らが「ファシスト=現代のナチス」と規定する革マルに対するものだけではない。現に、三里塚闘争をめぐって私たちに対して行ったテロ襲撃に居直り続けている。この点は私たちが絶対にあいまいにできない事柄である。それは繰り返し述べるが、決して「セクト間抗争」の利害によるものではなく、大衆運動自身の防衛と発展にかかわる原則的な課題なのである。
 もちろん、こうした「内ゲバ」主義者たちが、市民運動の共同行動に食い込んでくる背景には、彼ら自身が単独で自分たちだけのセクト主義的「大衆運動」を組織できなくなったということや、「内ゲバ」を統制し、彼らに反省をうながすだけの、力ある大衆運動が全体として後退してきた、という問題があるだろう。またこの間、党派の力量の低下によって内ゲバの件数が減少し、それが運動全体にもたらす害悪が実感されにくくなっているという要素もあるに違いない。
 だが大衆運動の力が後退してきた現在であればこそ、この後退の一因をなしてきた内ゲバ主義に対する「容認」はあってはならないのである。それは民衆運動の抵抗・批判の力の源泉であるモラルを堕落させることにつながるからである。

 (3)

 ここでもう一度、三里塚闘争をめぐった私たちの同志や熱田派反対同盟の支持者に対するテロと恫喝について思い起こす必要がある。一九八二年十二月、三里塚芝山連合空港反対同盟は、政府公団による二期工事の攻撃に対する闘いを全国で組織していくために二期工事予定地の「大地共有運動」=一坪共有運動を決定した。しかしその直後から、中核派はこの運動を「土地ころがし」「公団への土地売り渡し」「カネもうけ」だという誹謗中傷を繰り広げ、ついに三里塚反対同盟の分裂を引き起したのである。
 その後も中核派は熱田派反対同盟とその支援が行った一坪共有運動に対して執拗な敵対を繰り返し、共有者の職場や自宅にまで「説得」と称して乗り込み、文字通りの脅迫を行った。そしてついに熱田派反対同盟の支援勢力の中心であった私たちを「反革命」「公団・日帝権力の手先」とまで規定して、一九八四年の一月と七月に私たちの仲間八人の居宅などを襲い、頭蓋骨骨折、両手足骨折などの重傷を負わせるに至ったのである。うち一人の仲間は、この襲撃によって片足を切断せざるをえなかった。
 このテロ襲撃を、中核派は「やむにやまれぬ正義の闘い」などと正当化し居直り続けた。襲撃に際して私たちの仲間から奪った手紙や文書を私たちの活動家の実名入りで機関紙上に公表し、警察による弾圧の材料を与えるということまで彼らは敢えて行った。さらに幾つかの大衆的運動団体に対しても中核派は暴力によって分裂策動を仕掛けたのである。
 私たちは、この中核派による非道なテロに対決し、大衆運動のすべての分野で内ゲバ主義を一掃することを呼びかけるとともに、テロによる反撃や報復を行わないことをきっぱりと宣言した。中核派のテロ襲撃に対して、多くの人びとが共同声明を発して批判した。こうした批判にもかかわらず、中核派は、熱田派反対同盟を「脱落派」と呼び続けて「一掃」の対象とし、自らの行為を正当化し続けている。
 しかし、このテロ襲撃の唯一の口実であった一坪共有運動に対して、中核派は昨年来その機関紙である「前進」や「週刊三里塚」で、突然なんの説明もないままにその評価を百八十度変えてしまった。かつては「公団への土地売り渡し」であり「カネもうけの手段」とされていた一坪共有運動は、今や二期阻止のための積極的な闘争手段として評価されている。そして厚顔無恥にもかつては脅迫やテロの対象だった一坪共有者に対して「その権利を絶対に守り抜くことは人民の正義であり、三里塚闘争の勝利のために不可欠である」という驚くべき「訴え」まで発するようになった。彼らは、かつての犯罪行為に対しては沈黙し、居直りをきめこんだまま、そのような「転換」を行ったのである。
 彼らの「路線転換」はまったくの御都合主義で、突然「再転換」し、内ゲバを行使する可能性を大いにふくんだものである。
 今日、彼らが一坪共有運動に対する敵対と内ゲバ襲撃を「停止」しているのは、さしあたりその方が得策だからである。それ以上では決してない。

 (4)

 内ゲバ主義の暴力は、ちょっとしたはずみから生じたこずきあいというレベルを越えて、革マル、中核、革労協などの「新左翼」党派にとっては、「革命戦略」にまで位置づけられる目的意識的・計画的な殺人・テロ行為になった。一九七〇年代に頂点に達した党派相互の内ゲバは、報復が報復を呼ぶという典型的な、しかし左翼運動には決してあってはならない堕落の構造に陥り、今日にいたるまで三ケタに上る活動家の生命を奪い、それを数倍する負傷者を出し、さらにそれをはるかに上回る人びとを絶望のあまり運動から遠ざけることになった。内ゲバに関与してきた党派は、いまでもおたがいを「ファシスト」「権力の走狗」と罵倒し、テロ襲撃や殺人を合理化している。
 左翼の運動の中で、異なった意見の持ち主を「人民の敵」「反革命」と断罪し、内ゲバを大規模かつ体系的に行使した元凶はロシア革命とソビエト連邦をさん奪したスターリンであった。そして、このスターリンの支配体制の下で内ゲバ的テロは国家規模で展開されるとともに、各国のスターリニスト・共産党官僚も、自らの権威をおびやかす反対派への暴力をエスカレートしていった。それは革命運動や大衆運動を破壊し、ブルジョア支配階級の弾圧に絶好の口実を与えるものとなった。社会民主主義に「主要打撃」を集中し、労働者統一戦線を拒否したスターリニストの犯罪的誤りは、直接にナチスによる政権奪取を助けるものとなった。
 トロツキーと左翼反対派、そして第四インターナショナルの闘いは、こうしたスターリニストの内ゲバ主義と対決し、運動内部の民主主義を一貫して防衛しようとする困難な闘いでもあった。そしてそうした闘いの結果として、トロツキーその人もまた第二次大戦のさなかの一九四〇年に亡命の地でスターリンの放ったテロリストの手によって虐殺されることになった。

 (5)

 日本新左翼の内ゲバは、「スターリニズムを超える」という看板を掲げていたその主張が、根本のところでスターリニズムと同質の大衆運動に対する官僚主義的支配と統制にとりつかれていたことをはっきりと示すものであった。革マル派や中核派はそれを最も極端に実践してきた。中核派はそれを「大衆運動における革共同の独裁的指導」という驚くべき言葉で表現してきた。
 私たちは、ラディカルな青年・学生運動が全国で燃え広がった一九六八年の当時から、こうした日本新左翼の内ゲバ主義を一貫して批判し、運動内部の民主主義の防衛を主張して闘ってきた。
 当初、そうした私たちの主張は、十分に理解されたわけではなかった。「暴力的党派闘争」を当然のこととする風潮が、新左翼系の活動家の中にも蔓延していたからである。むしろ、私たちの立場は新左翼の多くからは「党派闘争における日和見主義」とさえ見られることさえあったのである。しかし、連合赤軍の悲惨な「内部粛清」や、内ゲバ「戦争」の悪無限的なエスカレートの中で、「内部ゲバルト主義」がどれほどの頽廃をもたらすかが自覚されることを通じて、「内ゲバ反対」の原則は次第に多くの活動家の中でも共有されていくことになった。
 しかし、その原則がどれだけ運動の大義に思想的に立脚したものであるかは疑わしい場合も見られる。自分たちがかかわっている大衆運動の場で、とりあえず暴力が行使されなければそれでいい、というところにとどまっている人びとがその例である。
 「大同団結」や「大きな共闘の枠組みが必要」という理由にかこつけて、自らの行った内ゲバ・テロを反省する気配も見せない党派への融和的な態度をとることは、大衆運動の困難な局面においてはなおさら危険さの度合いを増すのである。「意見の相違を暴力によって解決」しようとした行為を依然として正当化するグループに対して「共同行動の対象としない」という原則は、運動が困難なこの状況からこそ大衆運動自身を防衛し、発展させる上であらためて決定的に重要な意味を持っているのだ。
 豊かで活気に満ちた大衆運動の再生のために、統一行動の原則を守り、発展させよう。                               (一九九九年二月)


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